早河秀桂先生を記念する

昭和7年10月15日高崎市に生まれる。

箏曲を気鋭の演奏家・作曲家であった宮下秀冽に師事。盲人であった秀冽は戦火を避け、出身地(旧倉渕村)近くの高崎市内へ疎開していた。

急速に戦後復興を遂げる高崎において、現在の宮下社家元である秀冽の子息・伸と共に、早河は箏曲を学んだのである。

文化都市へと成長した高崎で早河の果たした役割は大きい。群馬交響楽団の本拠地として知られる高崎ではあるが、実は邦楽を愛する人々も多かったのである。「宮下社の中で最も多く名取(準師範)を育て上げたんだ」と、顔を合わせるたび、家元となった伸は早河を評したものである。

昭和41年大師範。直門最高幹部として、宮下音楽の普及に努めた。昭和50年には伸とともにビクターのレコーディングに参加している。丁度、長男をお腹に宿している中での演奏であった。

高崎の貝沢を中心に榛名湖や玉村に教室を設け、共愛学園や高崎市立女子高校などでも稽古を行なった。平成12年に義務教育における邦楽器実習が義務化された際には請われて地域の小中学校においても指導を行なった。

箏曲を通して、晩年まで群馬の音楽教育に尽くした生涯であった。

                                                      (文中敬称略)